| ○はじめに
秋田市国民健康保険鍼灸マッサージ師会は、東北で初めて施設費払(受療券)を実現した団体です。
昭和58年3月13日、旅館太平閣に18名が設立総会に参加し、誕生しました。
これにより秋田市在住で55歳以上の国保加入者は、鍼灸・マッサージを受ける際、年間で最大32,000円の割引を市からの助成によって得られる事となりました。
○本会の設立まで
昭和50年頃、中央では日保連が誕生し全国的に健康保険で鍼灸治療を行えるようにするべく準備が進められていました。ところが母会である全鍼師会と日鍼会が突如決裂したため保健事業は頓挫し、日保連秋田県支部もやむなく解散する事になってしまいました。
当時私は日保連秋田県支部会長であった為、この出来事には大きな挫折感を味わいました。もうこれで保険等に関する事業を進めるのは無理だと半ば諦めかけていましたが、時間が経つにつれ心の中に沸き上がるものがあり、鍼灸への健康保険適用に替わるものとして施設費払(受療券)を実現させたいという思いが強まってまいりました。
私は当時、施設費払の先進地域であった福岡のような方式を秋田でも実現させたいと考え、前会長に話をもちかけました。前会長は福岡へ視察に行った事もあり、その事情に詳しかった為、力になってもらおうと思ったのです。しかし、そう簡単に事は進みません、前会長は「秋田での施設費払の実現は不可能」そう言い、なかなか首を縦には振ってくれませんでした。会に戻っても会員の反応は真に冷たく正に四面楚歌の状態、どうすれば分かってもらえるのかと頭を抱える毎日でした。それでも「患者さんの為にも我々のためにも非常に有益な制度である」という信念が私を突き動かし、何度も協力をお願いし続けました。そして最後には「計画が失敗した場合には、私が経費を全額負担する」という条件で、なんとか協力をとりつけたのです。
それからまもなくして、前会長の知人から藤原久先生(市議会議員、当時の厚生委員)を紹介していただき、施設費払について説明をする機会を得る事ができました。藤原先生に行政からのお力添えをお願いしたところ先生は、福岡・熊本・下関の三市を訪れ施設費払の状況を視察、私共にその経過を説明してくださると共に受療券事業への協力を快諾して下さったのです。先生の協力が得られた事は私の心の中でも大変支えとなりました。それまで遅々として進まなかった事業の実現がこの時、強力な理解者を得る事でやっと光が見えてきたような、そんな気持ちでした。
○本会設立から事業認可まで
本会の設立から事業が認可されるまでも紆余曲折・色々と苦労がありましたが、話が長くなりますのでこの部分については少々駆け足で経過をご紹介致します。
昭和58年3月13日、設立総会を行い、その後役員会や同業者各団体との会談を行いました。「三療師会」「視覚障害者協会」両団体との会談で大筋がまとまり、次に同業者個人へ手紙と電話で呼び掛けました。
5 月19日、長谷山博先生(当時の秋田市医師会長)へお力添えをお願いするため挨拶に参り、本会への協力を快諾していただきました。医師の中には未だ東洋医学を軽視する人も存在するのが事実、内心「どんな事を言われるのか」と不安だったのですが、先生から良い御返事を頂けた事にホッと胸を撫で下ろしたのを今でも覚えています。
その後は役員や会員にも出席していただき会議を重ね、最終的には署名を集める事となりました。署名はたくさんの方に協力していただき会員の友人・知人・患者さん等々、計13,360にもなりました。このような趣旨の署名としては、かなり多い数です。
昭和59年6月7日、長谷川清氏(当時の市議会議長)に署名と請願書を高田景次市長には陳情書を提出、徐々に協力してくれる方々も増え事業も現実に形となってまいりました。
昭和60年、待ちに待った受療券事業が実施される事になりました。業の名称は「秋田市国民健康保険はりきゅうマッサージ保険事業」。この時は予算の見通し等の問題から、先に鍼灸のみの適用となり、様子を見てからマッサージも加えるという事になりました。鍼灸・マッサージ共に適用になるのが望ましかったのですが、まずはこの事業をスタートさせるのが重要だと考えこの条件を了承し、4月1日にいよいよ事業はスタートを切ったのでありました。
昭和60年11月23日、出来る限り早く事業にマッサージを加える為、当会と視覚障害者協会・三療師会等とで会議を開き、より一層の団結と事業を前進させようと誓い合いました。その結果、次の年にはマッサージにも適用が認められ、その後も粘り強く交渉を継続する事により対象年齢の引き下げ・割引金額の増額を実現させ現在に至ります。
○もし受療券事業が衰退したり万が一廃止にでもなれば元に戻すのは不可能。
これは是非施術者の方々に真剣に考えていただきたい事です。もし受療券事業が衰退したり廃止になったなら・・・。
何か新しい事を始める時には、誰かが大きな犠牲を払い・時間を割いて行動する必要があります。それが予算・お金にまつわる交渉となれば尚更、大変な苦労を強いられます。当時の私も何度も何度も交渉やお願いのため各所に参りました。設立総会から請願書提出まで、会員や市議会議員へのお願い・会談等の回数は15 回。提出してから認可までは63回、認可されてから事業にマッサージを加えてもらうまで32回お願いに参りました。その後も事業の内容を充実させるため年に十数回は市当局等に出向きました。
当時は私も若く今よりは体力もあったのですが、仕事をしながら休みの日には会議、時間の合間を縫って当局との交渉等をする毎日には本当に疲弊しました。しかも、これはまだ日本の景気が良く成長期にある時代の事です。高齢化社会・人口減少社会となり、国・地方の財政が切迫している現在の日本、今の秋田市でこれと同じ事をやろうとすればどれだけ困難な道となるか、想像に難くないでしょう。もし事業が衰退の道を進み始めれば元に戻す事は、ほぼ不可能と言っても過言ではありません。
○今こそ施術者の方々は自分達が受療券事業を支えなければという自覚を
鍼治療等の予防医学にお金をかければ、結果的には医療費を押さえる事に繋がるという事実は今や常識です。しかし、その真実も多くの人に伝えられ・理解されなければ意味がありません。行政側の方々も時が経てば徐々に入れ替わっていく訳ですからですから、この受療券事業がいかに意義深いものであるかを声高に訴え続ける必要があるのです。そうしなければ、いずれ事業は衰退してしまいます。当会の存在意義はここにあります。いつまでもこの事業が存続されるよう、活動しているのが秋田市国民健康保険鍼灸マッサージ師会なのです。
当会に入会しなくても、受療券を取り扱う事は可能です。法律に触れる事もありません。しかしこのまま未入会施術者が増え、会が力を失えば受療券事業は衰退していく可能性があります。それは、患者さんにとっても施術者にとっても著しく不利益な事態です。受療券事業衰退の加害者になってしまわぬよう、施術者一人一人にその自覚を持っていただきたい、それが私の願いなのであります。
後期
この事業を実現させるためには、いろいろな方にご協力いただきました。特に藤原久氏にはお世話になりました。九州視察で得た情報や市当局の見方を考慮した案を提示していただく等、おかげで事業の内容が大変充実いたしました。また、趣意書・請願書・陳情書等の文面も、かなりの部分に手直しをしていただきましただけでなく、実際の市当局との折衝にもほとんど同席していただき、本当にありがとうございました。
他にも、この秋田市国民健康保険鍼灸マッサージ保険事業が市の正式な事業となるまで、数多くの人達にご協力いただきました。
高田景次市長を始めとして、実務を担当してくださった当時の保健課長大石武保さん・渡邊幹夫補佐・次の保健課長の長浜谷悦美さんには大変御尽力いただきました。
我々の申し出を寛容に承諾してくださった長谷山博先生、ありがとうございました。
他、会議に御参加くださった鍼灸・マッサージ業に携わる先生方、
大勢の方々に支えられ、事業がここまで発展しました事、この頁をお借りしまして厚く御礼申し上げます。
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